森羅万象

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史記の斉大公世家によると、太公望の先祖は夏((か、紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃) の 禹(う) 王 が成功させた黄河の治水政策に貢献したと記されている。


太公望とは、大公が望んだ人物、望む人物という意味で、それがそのまま氏の呼称となった。

姓は姜、氏は呂、名は尚または望、字は子牙または牙。謚は太公。斉太公、姜太公とも呼ばれ紀元前11世紀ごろに活躍した。

後に斉王朝を創立し初代斎王となった斎の始祖。

周の文王に仕えた軍師。

歴史上重要な人物にも拘らず伝説に包まれており実体が見えない。


大器の片鱗を見せることなく貧乏暮らしが長かったために、妻に逃げられた。

日々の食事にも事欠く毎日なのに呂尚は読書をして暮らしていたので、呂尚の甲斐性のなさに耐え切れなくなった妻が離婚を申し出ると、呂尚は

「いずれ出世したら楽になるから」

と説得したが聞き入れず、妻は呂尚のもとを離れていった。


のちに呂尚は出世し大公の望む人物として名を高めた頃、別れた妻が戻ってきて復縁を申し込んだ。


呂尚は黙って盆に水を満たし、その盆を覆えし、盆の水をこぼしてみせた。

その逸話は、覆水盆に帰らずの故事となった。


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栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし) 

香木のびゃくだんは、芽生えた時からすでによい香りを放つ。

才知のすぐれた人は、幼少の頃から、すでに並外れた素質を表すとも言われるが、太公望のように優秀すぎるために却って晩成するまで大器の片鱗も見せない例もある。



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周の文王が狩猟の方位を史官の編 (へん) に占わせたところ、

渭水(いすい/黄河の支流のひとつ) の北岸に行くと天下の奇才を得ると出た。


文王がさらに詳しく尋ねると、

その賢者を得れば三代に亘って周を輔 (たす) ける功臣とのことであった。


この吉方ははの昔、瞬王の為に編の祖先が占い、

賢者の皐陶 (こうよう) を得た時と同じものだった。



文王は編の指示とおりに三日の後にその場所、

渭水の北岸へ行くと、呂尚が釣り糸を垂れていた。


文王 「釣れますか?」


呂尚 「君子は志を得ることを楽しみ、小人は物を得ることを楽しむものですが、

     わたしは君子の釣りを楽しんでおります」



文王 「君子の釣りとは? 具体的にご教授ください」


呂尚 「君子の釣りには、三つの種類があります


     金品を餌にするもの

     恩義を餌にするもの

     地位を餌にするもの


金品を与えれば、人はついてきます。

恩で釣れば命も投げ出し尽くすでしょう。

相当の地位を与えれば、人は懐柔できます。


釣りの目的は獲物を獲ることにあります。


そのためには、どのような獲物を、どのような餌で釣るのかを考えなくてはなりません。

国家の大事も、魚釣りの原理を応用すれば簡単ですが、

その情を知るのが容易ではありません」


文王 「その情について、具体的にご教授ください」


呂尚 「水が尽きることなく流れるのは、源が深いからです。

     その流れがあるゆえに魚が棲んでいるのです。

     これを情といいます。


木が育つには根がしっかり張っていなくてはなりません。

そうすることによって、木に実が成るのです。

これを情といいます。


君主が臣下とその志を同じくし、

心底和合していれば何事においても成就しないものはありません。

これを情といいます。


概して言葉というものは虚飾が多いものです。

忠告や諫言は真情を申し上げなくてはなりませんが、

お怒りにならずにお聞き願えるものでしょうか」


文王 「仁者は諫言に感謝するものである。

     その為に忌憚のない意見を述べるのは当然のこと。

     真実を知って何を怒るものであろうか、どうぞご教授ください」


呂尚 「細い糸を使って餌が良く見えるようにすれば、小さな魚が釣れます。

     中くらいの糸を使って香ばしい餌をつけると、中級程度の魚が釣れます。

     太い糸を使い、たっぷりの餌をまき、

     大きな餌を付けて釣れば大物が釣れるものです。


魚は餌に食いつくけれども、その結果として釣り上げられ、人に食べられてしまいます。


人も同じで、禄を食むことによって結局は君主のものとなります。


このように、釣りの原理を応用して餌を巻けば天下を掌中にすることも不可能ではありません。

貧乏な人は金で釣り、出世を望むものには地位で釣れば良いのです。

見かけはしっかりしてい.ように見えても、欲ぼけの連中ばかりです。

利得があると知れば、すぐに四散するでしょう。


ただし、真の君主になろうとするのであれば、徳で民衆を釣らねばなりません。

徳があれば、その光は遠くまで届き、いつしか万民を帰服させるものです。


文王 「どうすれば、その徳を得られるでしょうか」


呂尚 「天下を独り占めせず、天下の利益を万民と共有し、

     天下万民のための天下とすることです。

    これを仁といい、仁のあるところに万民は集います。

    また死の危険にさらされているものを救い、

    困難に直面しているものにはそれを取り除いてあげることです。


要は、人が困ったり、心配していることを解決してあげるのが徳です。

その徳に万民が集います。


君臣の上下関係にこだわらず、

苦楽を万民と共有し、常に悪行を憎み、

正しい行いをすることが義です。

その義に万民は集い、帰服します。


元々人は、いつまでも健康で、平和で、正しい法のもとで庇護されたいものですから、

これをかなえてあげることです。


そうすれば天下万民はこぞって帰服するでしょう。

それが天の理というものです。


文王 「どうして天意に逆らえようか。

    天の理を説く、あなたこそが真の賢者である。

    ぜひとも軍師として指南を仰ぎたい。


かくして呂尚は文王に求められ、軍師となった。

このような経緯で師を得た周は、呂尚の補佐によって

武王の時代に殷 (いん) を滅ぼし、ついに周王朝を樹立した。


文王の祖父 (大公) が待ち望んでいた賢者が四代目にしてその志を開花させた。


これが、太公望の名の由来となった。